【ゲーム開発】量産ゲーは何故生まれ続けるのか?【企画のボヤキ】

こんにちは、涜(とく)です。

闇深そうな話題に足を突っ込んでいきます。

ここら辺むやみに突っつくのが危険なのは百も承知ですので、私なりにできるだけ予防線を張ってから話始めようと思います。

私が仕事で関わっているものも"その気"があるので、情報漏えいにならない範囲で内情も話せればなと思います。

そんなわけで早速予防線。


「量産ゲー」とは?

これを定義しないことには、いろいろな捉えられ方をされて困ることが予想されるので、私の考えの範囲ではありますが書いていきます。

  1. 数値や仕様などにコピーと判断される可能性の高い要素を有し、「オマージュ元の作品との差異が少ない」と揶揄される場合が多いと主観的に感じるもの。
  2. 「部分的にでもオマージュ元の作品より優位性がある」と判断されない場合が多い、あるいは優位性と呼べる部分を加味しても「オマージュ元の作品と比較して総合的な魅力に欠ける」と判断される場合が多いと主観的に感じるもの。
以上、2点を満たすものを本記事内で「量産ゲー」と定義します。また、これに該当するか否かは個人の主観によって決定されると考えていますので、あくまでこれは「今その人にとって、量産ゲーだと感じられるもの」という前提をご承知おきください。


「量産ゲー」誕生の背景

どこか見覚えのあるゲームが開発される背景は、既存のゲームに寄せて作ることによるメリットを最大化しようとすることで起こると考えています。

そもそもなぜ既存のゲームに寄せるのかというと、開発者にとってもプレイヤーにとっても既存のシステムでないとすんなり理解しづらく、売れるかどうかの博打度合が高くなってしまうからです。企業は営利団体であることが前提ですので、たとえユーザーを喜ばせることが目標であったとしてもボランティアではいられません。コストを抑えて利益を出そうとするのは当然のことです。

次に、既存のゲームに寄せて作るメリットは下記のようなものです。

  1. 既存ゲームという具体的なイメージがあるため、ステークホルダーと成果物の共通認識を持ちやすい。
  2. 仕様作成コストを低く抑えられる。
  3. ゲームデザイン、レベルデザインコストを抑えられる。
  4. 運営をある程度トレースできる。
  5. 既存ゲームというベースがあることである程度の失敗のしにくさが認められ、信用の高い安心感を得られる。
※もちろん各ゲームによってこれらをどの程度利用するか、しないかは異なります。

これらは企業目線では明らかなメリットです。特にリソースをとにかく抑えることに特化しており、セーブした分を単純に温存したり、見た目の良さに充てたりなど、仕様的なフルスクラッチを避けることでうまくリソースをやりくりすることができます。

ただし、そうはいっても納得できるはずがないと思います。上で挙げたメリットはプレイヤー側からしたらたまったもんじゃないと思います。皆さんの覚える納得のできなさは、このあたりから来るのではないでしょうか?

    • ゲームデザイン、レベルデザインコストを抑えられる。
    • 運営をある程度トレースできる。

    確かに、これらの影響はプレイヤーにとって苦痛をもたらす場合があります。苦痛とは「オマージュ元の作品と異なる体験が少ないこと」「オリジナリティが薄いと知ることで、開発の熱意が感じられず自らも入れ込む気になれないこと」あたりだと考えます。

    両方ともプレイのモチベーションが下がるのは当然です。自分が遊んでいるものが大したものではないと感じれば感じるほど、「こんな価値の低いゲームを真剣に遊ぶなんて馬鹿馬鹿しい」と思う人も少なくないでしょう。

    苦痛をもたらす"場合がある"と少し濁したのは、知らなければ意識しないこともあるからです。とはいえ情報にあふれた社会ですし、自分のプレイしているゲームが受けている評価を気にする方も多いでしょう。このような状況であれば、どこかで立った悪評が一瞬にして拡散され炎上してもおかしくありません。こうなればプレイのモチベーションは下がる一方です。

    ただこの状態であっても、ソシャゲであれば「それでも付いてくるユーザーさん」を留めることである程度存続可能です。どれほど長く続けられるかは運営メンバーの腕と運にかかっていますが、突然絶望的な状態になることは稀にしかないイメージです。


    クリエイター目線での悪影響(主観)

    ここからは私が感じた悪影響について語っていきます。

    量産ゲーの開発スタイルにはある特徴があります。それは、企画職のコストを一番に下げることです。

    実際企画職のコストを削ることはそれなりにメリットがあると考えられます。企画職はよほど優秀か特化したタイプでない限り、必需品として扱われにくいです。プログラムを打たず、素材も作らず、ディレクターの手足となって仕様作成やら、進捗管理、データ作成やらをするのが業務の中心になります。

    必須である成果物を作成する担当であるプログラマーやグラフィッカーは手放せません。となると、真っ先に削れる人的資源が企画職になるのは必然です。

    もちろん他の職種にも影響があるはずです。しかし、私自身が企画職であるため、ここでは企画職での影響について書かせていただきます。

    企画職のコストが下がると……?

    具体的に企画職のコストが下がるのは以下のポイントです。
    • 仕様作成コストを低く抑えられる。
    • ゲームデザイン、レベルデザインコストを抑えられる。
    • 運営をある程度トレースできる。

    そしてこのコストを下げることで起きる影響として、

    • 仕様を明確な意図を持って作成する能力が培われづらい。
    • ゲームデザイン、レベルデザインの設計能力が培われづらい。
    • オマージュ元の作品が過去に起こした運営上の失敗を引き継ぐ可能性がある。
    • IPモノの場合、意図せずIPを傷つける場合がある。
    これらが挙げられるのではないかと考えます。

    これは平たくいうと、関わる企画メンバーの能力が養われにくい環境にあるということです。

    ただし、全く育たないわけではありません。オマージュ元の作品をしっかりとプレイする必要に駆られるので、その設計に触れて意図を学ぶ役には立っていると思います。もちろんオマージュ元の作品と明確に相違する箇所があるのであれば、その限りではありません。

    とはいえ、養われにくいというのは事実だと感じます。それは、いくら学んで自分で考えたところでアウトプットする機会に乏しいためです。

    量産ゲー開発はメリットの最大化を突き詰めるほど、開発内容がオマージュ元の作品に寄っていきます。それはつまり、採用される仕様もオマージュ元の作品に準拠したものになっていくからということに他なりません。

    そのため「考えて提案したアイデア」が採用される機会は自ずと少なくなります。これは長期的な目線で会社を弱体化させる懸念があります。

    一番考えるのは、オマージュ元の作品と変えなくてはいけない部分の差異を埋めるための調整であることが多いです。


    直面した感想

    ここからは完全に感想ですが、正直こういう状態が続くとしんどいです。改案は不採用、オリジナル調整はオマージュ元の作品に準じたものに回帰、それらに使った時間分の得られたものがあるかと言えば、抵抗しても無駄なんだなぁということと、無難なものを作るのは苦しいということの悲しい学びのみ。開発中だろうが運営中だろうがこの状況は変わりません。

    とにかく、仕事上において自己否定を繰り返されるような感覚に陥ります。元より、担当などある程度の社会人スキルがあれば誰でもよいのは承知の上ですが、私が担当になったからにはどこかより良くしてみせようという挑戦の機会すらほぼありません。この状況では自身の成長を感じることはできませんし、仮にとてもうまくいったとしても自分の実績だと認識することもできません。

    自ら進んで背負った責任がどんどんと降ろされ、軽くなってしまった肩には得も言われぬ虚無感が残りました。


    総括

    量産ゲーについて話してみました。このあたり私としては、作り手サイドとしても消費者サイドとしても非常に心苦しいです。

    良いものを提供してユーザーさんに気持ちよくお金を払ってもらうのが、エンターテイメント作品の理想だと私は思います。これが満たせない現状は互いにとって苦しいものです。私なりのこの問題の解決の糸口は、互いに作品へのシビアな目線を持ち続けることだと考えています。

    クリエイターは作品へのコミットメントをより強くしなければなりませんし、ユーザーさんも課金する対象をしっかり見極めるのが必要になると考えます。課金というのは、それを作る企業やチームへの投資のようなものですから、できれば課金煽りにただ乗るのではなく、純粋なあなた自身の考え込みで課金のする/しないを選択してほしいと私は思います。

    というわけで、今回は終わりです。

    どうかあなたのキャリアに悔いのなきよう。

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